開業 (2) - 男の子育て…貧乏に負けない

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出会い

開業に際し多くの方達との出会いがあった。思えば偶然なのか運があったのか。必然だったのかもしれない。
開業以来、酒屋さんは3軒目。開業時、サッポロビールの営業マンから紹介していただいた。ある日、インターネットで商品を探していた。仕入れていた某商品を見つけた。何故なの、仕入れている価格より標準価格の方が安い。かなりいい加減な納品をされていることが判明。そんな時、お客様で来店されたAビール営業マンに違う酒屋を紹介された。驚くことに、すべての仕入れ価格が安くなった。その酒屋は廃業になり、現在の酒屋になっている。

訓練 2

そば打ち訓練、まあ修行としておきます。気楽な修行です。本人はいかに商品にするかで必死です。そば粉1キロで打ちます。どこかに記録していたのですが見つかりません。どんな設定で打っていたか記憶が薄れています。そばを打つたびに記録していました。打った時間。加水開始から納め終わりまで。今の形と違ったことも多くあります。この方がいいなといくつも変えていきました。水回しはかなり変わったと思う。当初は本に書いてあったことが理解できていなかった。水回しというよりもかき回しだったのかもしれない。今は水回しです(笑)無意味な動作は今も存在するが、しないほうがいいという動作があったと思われる。勘違いから起こったのでしょう。いまだにそば打ちの行程名が覚えられないのだが(必要ないので)4つ出しは今も下手です。最初の伸しが真円になってないからだとわかるのだけど少しいびつになる。もうひとつ伸しのこと。要は麺棒を転がすのは間違いで、たまたま転がっているというイメージになればうまく伸せる。どうしても、目で見るところがしている。どうみても転がっているもの。これが大きな勘違い。上から力を加える、麺棒を少し転がして移動し上から力を加えるの連続動作。これがわかったのは開業してしばらく経ってからだ。麺棒を使うときの手の使い方が大きく間違っていたというのに気づいたのは最近の事

訓練

水害時に壊れた電動石臼がありました。高速回転なので営業時に使う気はなかった。その電動石臼のギャップを大きくして大割れを作る事にしました。粗い篩で細かいのを落とし、鬼皮とそばの大割れにして、皮をとおみでとばすということにしたのです。手間が掛かりましたが脱皮機は必要ないなあくらいのできでした。
そば打ち訓練は毎日です。目標は商品にすること。売り物にすることです。どの時点で商品とするのか?どれくらいの時間で打つのか?といったことが重要になってきます。この時期、長くつなげるというのが一番の目標でした。口では箸にひっかかればそばなんだとは言ってはいましたが、それで満足はしません。それでも、100点は無理だから60点を目指してそば打ち修行(笑)今考えれば拙い技術だったんです。先日、初期に打ったそばの写真を見つけました。本当に下手です。そのころ、そばだと思って写真を撮ったのでしょうね。
もうひとつ、重要な物。つゆです。返しを作ってからつゆをたいていました。量は10分の一です。この時期のつゆのたき方が現在の原型です。

そば打ち訓練(修行)

 今思えば、どこかでそば打ちを始めそば屋の仕事を
教えてもらっておけば良かったと思っています。
3年かかって気づいたことでも、そんな苦労は必要
なかったことがいくつもあるだろうな。
無駄も必要ということかもしれません。
 店舗建設をしているころ、主夫もやっていました。
といっても食事だけです。もちろんそば打ち訓練は
毎日です。そば粉を碾くのも毎日の仕事。1キロ
程度のそば粉を2時間かけて碾いていました。
夏場でしたので汗だくになります。手碾き、手篩。
製粉は開業後もこの手作業でやるつもりでした。
しかし、腰が痛くて毎日の製粉は重労働だと気づき
電動石臼と電動篩導入を決めました。その前に
玄そばから製粉するつもりでした。農家からの
供給は玄そばなので当然の結論だった。
いろんな書物で脱皮した「ぬき」の方が
そば打ちもうまくいくと知り脱皮を決意。当時、
安価な脱皮機がなく、別の手法で脱皮に
近いかたちにしたのです。

業者選定

店舗建設については知人の紹介で建築事務所に決定
設計、監督をお願いした
造成と大工さんは建築事務所の推薦で決定
建築がらみでの業者選定は大工さんが決めるようだ
電気と水道は縁戚にあたる知人にお願いした
業者一同が集まっての説明会を経て建築開始となった
ここからは全くの素人ですので
用事がある都度、聞いて決定の繰り返しです

備品関係をどうするかでかなり悩みました
まずはテーブル
家具屋を見て回りました
見積もりをしていただくと2割引程度と
そんなに安くなりません
一般小売りでは無理だと知りました
そこで、建築とは関係のないのですが大工のいとこに
相談しましたところ、業者さんを紹介してもらいました
テーブルの価格は…もちろん破格値です
ついでに座布団も発注しました
ただ、座布団はホームセンターで購入する方が
種類、価格共にお徳だということは後で知りました

素人

飲食店の経験がないということは
かなりつらいものです
何もかも、右も左もわからない
店舗は形としてできあがっている
ように見えますが勘違いがありました
店舗を作るプロがいませんでした
けがの功名とも言えるのですが
しっかりとした建物が建ちました
もしも、店舗として建てたなら
安価なものだったでしょう

テーブルはどうするの?
座卓はどうするの?
座布団はどうするの?
細かい事が手探りです
もしも、これから開業を目指す方が
読まれたら
コンサルタントを探してください
幾人かのコンサルタントから
相性のいい人を見つけて
数年一緒に店作りをしてください

さらに、仕入れ先がありません
笑い話のようですが本当なんです
見つからなければ毎日スーパーに
買い物に出掛けなければなりません
実際にそうされている方がいます
そういうのは時間とお金の無駄です
その地域に根ざした業者さんがいます
そんな事も知らなかった
運が良かったのでしょう
少しずつ紹介してもらえました
開業には運も必要ですね

資料画像はなくなりました

前のノートPCのデータは残っていましたが
そこには店の建設中画像は残っていませんでした
違うデスクトップPCにあった画像を
壊れたHDDに持ってきていたと思われます
データの移動はCDだと思うのですが
どこに行ってしまったかわかりません
運が良ければでてくるかもしれません

店舗建設にあたっての基本は
予算不足によるけちけち設計です
畑ですので地上げが必要です
しかし、その時のよう壁が結構します
簡単なものでは建築許可がでません
その為に道路より低く抑えました
本来は道路と同じ高さがいいのでしょうね
こじつけですが、水もお客さんも低いところに
流れ込んでくるということで納得させました
その他、費用節約のために知恵を絞ったのです

店舗建設の画像です

造成が始まったところです
最初に合併浄化槽を設置してしまいます

はじまりです

P000407.JPG

大きな穴を掘ります
P000409.JPG

崩れないようにしてるみたいです
P000410.JPG

搬入するところの画像はないのです
設置完了しています
P000412.JPG

店名「遊楽」、立地「小野市大島町」

店名は遊び楽しむというそのままの意味でつけています。もちろん、仏典からというのも事実です。意味は同じですので説明の必要はないと思います。「遊楽」のそばを食べて喜んでもらえたら何よりです。
何故、兵庫県小野市大島町なのか。そこに県道沿いの土地(畑)があったからです。今思えば錯覚でした。土地があれば投資は少なくなると思いこんでいた。実際には大きな投資になってしまった。
開業して大きな錯覚、誤解があった。飲食店はひたすらおいしいものを提供していればお客様が来て固定化し、数年で安定経営ができる。と思いこんでいた。大きな間違いです。どうしてそんな勘違いをしたか。それは、飲食店は地域密着型が多いこと。人の流れが多いこと。自らが顧客を呼び込む力があること。等々で集客していることに気づいた。遊楽にはない。地域に密着できない「蕎麦」人口密集地ではない。観光地等の集客がない。蕎麦だけなので集客能力はない。
では、どうするのかだが、ここで広告宣伝に気づくのだ。効果的なものを言い当てることはできないが、広告宣伝は重要である。
今、ささやかだがブログ、HP等々で露出。ざるそば100円割引券で再来店訴求を行っている。

融資が実行されない

さて、業者選定もできて店舗建設開始をしたいのですが、国民金融公庫の融資が決まりません。融資が実行されるのは建設を開始しないと決定できない。ただし、融資ができないケースもあるとのこと。もしも、融資が受けられないと計画自体が無になります。いえ、多くのマイナスを生みます。しかし、建設開始をしないと審査すらしてもらえない。もしもの時は仕方がないと決め工事開始の連絡をしました。建設開始から何日目だったのか記憶は定かではありませんが、融資が決定されました。やれやれです。

店舗建設に向けて 1

現状が畑の土地を造成し店舗建設までの業者選定に入ります。当初、アルバイト先のオーナーが建築業をされていたので施工業者を紹介していただく予定でした。その旨を連絡すると現地を見に来られた訳です。ところが、当時は地目が畑のままでしたので随分手つかずで放置状態になってしまい進展が望めません。そこで別の知人に相談しましたところ、市内の建築士を紹介いただきました。アルバイト先のオーナーにはお断りをしました。進展のないまま時間を費やすことはこれ以上できません。
建築士の指示の元、地目変更(既出)、業者選定と進みました。
大工、造成、電気、水道等々色んな業者にお世話になりました。工務店への一括発注の形ではなく、個別に発注でした。理由は特にありませんがアドバイザー的な役割が建築士だったからでしょう。造成から建物建築までの監督は建築士がしてくれました。電気関係は水道も含めて知り合いにまかせました。

農地転用

農業振興地域の規制解除ができたので農地転用の手続きに入る。暇がなくてお金のある人は行政書士にやってもらうといいようです。当時、時間はたっぷりで無一文状態です。全部自分でやることが銭もうけと思っていました。
農業委員会に出向き農地転用の手続きを一通り聞きました。隣接農地の地権者の承諾、排水の承認が必要でした。ここで、大きな問題が起こりました。正確には解決済みの事がむしかえされたのです。隣接の地権者が数年前の境界決定は納得できないと言い出したのです。以前より若干のいがみ合いがあったので仕方がないことだったのです。結局、再度の測量により境界線の決定をすることになりました。本来なら高額の測量費がかかるのですが、以前の測量ミスがあるとのことで無料で測量、境界決定となりました。もちろん、再測量でも境界は同じでした。ようやく地権者の承諾は得られました。排水は町内の農家に承諾を得て、農業委員会が転用を認めてくれたのでした。

開業計画

融資を受けるのには開業時の資金計画と5年間の営業計画が必要です。PCが代替わりしたしているので正確な資料はありません。思い出しながら書いていきます。
開業計画の中で売上計画の資料が見つかった。こういう計画で融資を受けたようだ。詳細は思い出せないが、1年目の計画を今でも達成できていたならかなりの優良店。もちろん利益がでる。さらに、面白いことに人員が夫婦2人で人件費はなし。現状では考えられない計画数値だ。もしかしたら、机上の計画が認められたお陰で開業できたと思う。客数、客単価、どれをとっても机上の数値だ。
しかし、しっかり数値計画を立てたお陰で融資をうけ開業。現在に至るのである。実数値は、初年度計画の6割程度。
開業時の資金計画は綿密に立てられていた。特に予備資金を多めにとったお陰であわてず営業ができた。
大きな反省がある。開業時に飲食店は口コミが最大の広告と思い何の広告もしていなかった。これは、大きな幻想である。まず、お客さんが来てくれないことにはどうにもならない。味に自信があるのなら広く広告を出すことが必要。特に開業時は認知度を高めるために派手にやるべきだ。開業時の広告は知名度を上げる、知ってもらうことに重点をおいて行うといいだろう。割引券などインパクトも効果的と言える。マスメディアに取り上げられるのも早いかもしれない。

融資

日本政策金融公庫がスタートしました。融資を受けていますがなんの感慨もありません。融資を受けた時、国民金融公庫でした。それが国民生活金融公庫に変わり、今回、日本政策金融公庫です。
こういった金融機関があったから開業できたと思います。融資を受けたときの事を思い出します。
開業を決めたといっても、決めているのはそば屋で県道沿いの畑。といったぐらいです。資金面はなにも解決していませんでした。何の根拠もなく借りて開業と思っていました。知人に信用金庫の方がいましたので、国民金融公庫の資料を頂きある支店の方を紹介していただきました。訪ねて行き話を伺いました。現実的な計画とは言えないだろう、融資は無理だろうと言われたのです。漠然と資金の目処がつきにくいと感じたのです。次に商工会議所で話を聞きました。新規事業なので開業資金の半分の自己資金が必要だと指摘を受けました。
ここで、行き詰まりました。どうすればいいのかわからなくなり、ダメだと言われた商工会議所に再び訪れましたが答えは同じで、自己資金が半分必要だと指摘されました。言外に、資金もなくて開業しようなんてとんでもないよと言われてるようでした。
会社を辞めどうでも開業しかないと思っているところです。それならと、国民金融公庫に直接行き話を聞くことにしました。
そして、国民金融公庫の窓口に行きました。簡単に事業内容を説明して、率直に自己資金がないことを説明しました。そうすると、実際の事業資金の内容を説明及び事情を聞かれたのです。自己資金が少なくても融資は可能。その際、管轄保健所の推薦書を添えて指導所(正確名称失念)を経由することでした。少々面倒なんていいんです。融資が受けられればいいのです。

農地についての私見

少し、農地の事、農業の事を書く。あくまでも私見であることを断っておきます。先に書いたように、小規模農家の農地にも農業振興地域という規制がかかっています。転作という名で放置された農地は荒れ放題。しかし、売ることも転用することもできません。自分たちが使う場合にも規制があるため、実質農地利用はできません。確かに開発規制で必要な部分もある。しかし、農地の現状を見れば改善が必要だというのは誰でもわかると思う。うちにも若干の水田がある。父ができなくなった今、草ぼうぼうの荒れ地となっている。耕作している他の水田に悪影響すらあるがなにもできない。お願いですからどうにかしてください。可能ならば売らせてください。転用をさせてください。
企業の農業への参入を認めて欲しいと思います。企業の農業経営で小規模農家が淘汰されると思われている。もしそうなら、その時こそ参入企業から税金をとり、補助金にすればいいのだ。作れないのに農地を持っているのは苦痛なのだ

農業振興地域指定解除

当時、知人が市役所にいた。幸いというかかなりの実力者だったので相談した。こういうのは公務員のいいところだ。上司には逆らえないところがある。「わかった」と一言。この時が後日かというのは記憶にないが申請書を頂いたと思う。その方から提出するようにと連絡を頂いたので市役所に出向いた。書類を提出すると、受け取れないと言うのだ。受付をしていないの一点張り。拉致があかない。これ以上は知り合いの力を借りられないので声を荒げて頑張っていると、後ろの席から上司が出てきた。とりあえずお預かりしますという答えだった。恐らく、知人に連絡したのだろう。もしかしたら知人は該当部署に連絡を入れていたのかもしれない。無事に農業振興地域指定解除の申請書は提出した。問題は何時かだ。しばらく静観だったが、どこでどうなったかは知らないが農業振興地域解除の会議が1年に2回になり無事解決したのだ。記憶が曖昧で随分省略してしまった。可能なら、後日書きたいと思う。関係書類が見あたらないので思い出せないのかもしれない。

開業に向けて 用地の現状

店舗建設に父名義の畑を使うことにしていた。農業委員会に届け出る程度で宅地に地目変更ができると思っていた。農業委員会に赴き地目変更の手続きをお願いした。住所を確認すると「のうしんや、のうしんかいじょせなあかん」でした。「のうしん」となんぞや?農業振興地域に指定されているとのこと。 http://www.maff.go.jp/nouson/seisaku
/home/nousinhan/chiikiseido/page001.htm
に詳しく書かれている。なぜ農業振興地域なのか理解ができないのだ。転作というなの放置田が多く存在する。何故ここが農業振興地域なのか理解できない。総合的に農業の振興を図ることが必要であると認められる地域とはとうてい考えられない。農業の問題については後日書く機会があると思う。
まず、農業振興地域の指定解除が第1条件。次に地目変更。これでようやく店舗建設ができる。
小野市役所農政課に農業振興地域指定解除を申請に行った。内容説明し申請書をもらい後日提出、解除となるだろうと推測していた。が、かえってきた答えは「今年の申請は終わったので来年」と言われた。何故?訳がわからない。よく聞くと、農業振興地域指定解除の会議は年1回ということ。今年は終わったので来年申請してくれとのこと。目の前真っ暗とはこの事だ。知らないとはいえ理不尽である。思わず叫んだ「なぜ農業振興地域なのか」転作という放置田があふれる地域が農業振興地域とはどういうことか?もちろん市役所の職員は答えられるはずがない。農業政策の現状と法律はかけ離れている。その事を実感した瞬間である。

開業に向けて

調理師学校で調理師免許を取得。取得費用は…かなりの額、1年という時間。得た物があるけど負担も大きかった。
1998年春、調理師学校を卒業。そば屋開業準備から開業と続きます。その間は主夫もやっておりました。子育ても含めて書いていきます。
最初に開業予定地が「畑」という農地。農地に関わる諸問題がありました。現在の農業問題の一端でもあると思います。詳細に書いていきますが、細かい資料等は出しません。ご了解ください。勘違いや間違いもあるかもしれませんがご容赦ください。
予備知識がなく農地の問題は驚きだらけです。政府は農業政策を曖昧にしている理由もよくわかります。田舎に住んでいて、農地と共に暮らしているのですが放置田になる理由も仕方がないかなあと思います。政府が真剣に農業政策を考えていない実証でしょう。米農家保護の政策の失敗というかひずみなのかもしれません。
農地から宅地に転用する際の煩雑でかついい加減な事を書いていきます。

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