調理師学校 - 男の子育て…貧乏に負けない

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調理師学校、アルバイト 最後

アルバイトは、営業成績が芳しくないので段階的に辞めることとしました。まず、自分の給料を月給ではなく時給にしました。そうすることによって店の負担は半分以下となりました。もちろん、辞めることにしたので社会保険関係もはずしました。妥当な金額となり気持ちが楽になったのを覚えています。
営業は立地、業態と難しい事が多すぎました。客席は畳の部屋が1間。テーブルは折りたたみ。料亭とは名ばかりです。料理でカバーできるモノではありません。僕の給与カットの他、人件費をはじめ経費削減をしました。
10月いっぱいで、そば屋の準備のためという事で辞めさせてもらいました。収入がなくなりましたが、売れない店にいるプレッシャーから解放されたのです。実際に開業準備を始めるのはもう少し後です。
調理師学校は最後に卒業展があります。自分の考えた料理の展示です。蕎麦三昧のようなものだったと思います。確か、なにか賞をもらいました。賞状だけで副賞はありません。欲しかったなあ。
その他、ふぐの講習を受けました。一応ふぐを提供できることになってます。

調理師学校で出会った著名料理人

調理師学校で教えてもらった有名料理人を思い出しています。
まず、和食の大田忠道さん。いろいろとプロデュースされているようだ。有馬温泉の「旅籠」など。 http://arima-hatago.com/
プロデュースなので大田さんの料理を食べられるわけではないと思います。一度話しただけなので印象だけになりますが、有名料理人にありがちな横柄な方ではありません。非常に穏やかな方です。調理師学校の和食の先生に紹介され少し話させていただいた程度の面識です。そば屋をやる予定だというと、蕎麦はいいですねというような事を話したと思います。機会があれば、大田さんの料理を食べたいです。
印象的だったのが、中華の程一彦さん。いわゆる、前掛けをされません。そのわけは、自分は汚すような料理をしない。だから前掛けはいらないということだそうです。すいません、少々傲慢な感じがしました。確か、料理の鉄人という番組で鉄人に勝った後だったと思います。ご自慢の様子でした。料理の印象は…すいません、覚えていません。中華の先生でしたので話もしていません。
その他にも宝塚ホテルのシェフや著名な料理人にお教えいただきました。
資料があればご紹介したいと思います。

調理師学校 5

調理師学校の話に戻ります。
入学後のゴールデンウイーク明けだったと思うが、2泊3日で集団研修があった。もちろん面白いイベント。ワンカップのお酒を持っていったのは当然です。場所は兵庫県篠山市の大手企業の研修センター。企業名は失念しました。携帯電話は圏外という場所です。子供達は、初めての研修ですが、僕にとっては何度かあった研修のひとつみたいな感じです。それも、やさしい研修です。大きな声を出したりがありますが、企業経験者にはこんなに簡単でいいのかと思いました。講師は調理師学校の先生ですから仕方がないのかもしれません。その先生は、僕に「こんなことに参加させて申し訳ない」と言ってくれましたが、どうってことありません。夜も早くに寝られるし本当に楽しい研修でした。はい、中身は覚えていません。食事はおいしかったと思います。なんといっても調理師学校ですから(笑)もう一つ覚えているのは、陶芸をやったこと。それくらいです。
夏休みは長いです。2ヶ月ありました。ずっと、バイトに通っていましたから生活は変わりません。昼の営業に間に合うようにと10時頃から出勤していました。このアルバイトは11月には辞めるのですが、詐欺師のNさんのお陰でたくさんの給料をもらっていました。朝から出勤するのは当たり前です。金額は内緒です。

詐欺…詐欺まがい?

大の誕生は5月16日。アルバイトを始めた頃は母親が面倒を見ていました。大の誕生で間違いがありました。小学校への報告があったので母子手帳を確認していて間違いに気が付いた。大の出生児の体重は3,652グラム、身長51センチでした。誰かと間違っていたようです。誰?それは大の兄です。大には兄と姉がいます。
大が誕生するとなると連絡が取れるようにと携帯電話を持ち始めたのがこの頃。今も同じ番号で使っています。
この頃のタイムスケジュールを書いておきます。起床は5時頃、食事の用意をしていたと思います。といってもみそ汁を作る程度です。7時過ぎくらいに駅まで送って送ってもらって登校。4時過ぎに調理師学校が終わってアルバイトに向かう。9時頃にアルバイトを終え電車で帰宅。10時半頃には帰っていたと思われる。ビールを飲んで風呂に入って寝るというパターン。土日は10時頃にバイト先の料亭の事務所に出勤。帰りは平日と同じ頃でした。
さて、バイト先の騒動は「詐欺」「詐欺まがい」です。昨日書いたNさんは口だけでいろんな店の開店に手をだしてきたらしい。開店記念パーティーの「祝儀」が目当てだったようだ。どういう訳か目論みよりも祝儀は少なかったようだ。来場者に配った引き出物や祝いの品のいくつかはNさんの店に運んだ。その当時は全く予想できなかったので指示通りに作業をしたわけです。店名もNさんの店は「K」、新しい店は「神戸K」で誰が見ても姉妹店かチェーン店です。少しずつ、Nさんのメッキがはがれていきます。ある日からNさんは金目の物を運び出すようになりました。どうやら手じまいだったようです。最初の「祝儀」は僕が保管したため手が出せず、自分のところにきた分のみポケットに入れたようです。後で聞いた話では、社長とNさんの出資は5:5で社長が立て替えていたらしい。結局、放り出して逃げ出したわけです。関連する人達も去っていきました。歯切れの悪い書き方になりましたことをお許しください。そのNさんは、神戸元町で商売されているようです。

アルバイト 1

調理師学校を批判するのが目的ではないのでこの辺にしておきます。もしも、調理師学校で勉強しようと思っている方はどこかで勉強された方が無難です。飲食店をやりたいので調理師学校入学は得策ではありません。もちろん、高校卒業したばかりの方は有意義な時間が過ごせますが、社会を経験してからは物足りないことばかりです。期待値が10としたら、2か3くらいです。どこか目的を果たせそうな飲食店を探して勉強されることをお勧めします。まあ、僕みたいのはめったにいないと思いますが…。
 5月の終わりか6月になった頃か記憶が曖昧ですが、7月に新規出店する和食の店を手伝わないかという話が舞い込みました。内容はパソコン指導、主に会計事務や給与計算の導入等でした。加えて料理の勉強もできるとのこと。いい話なので引き受けることにしました。偶然ですが調理師学校の近所に経営者のひとりの店がありました。面接も兼ねて話をして手伝わせていただくことにしました。このNさんの話には感動したのを覚えています。
準備とかがあるので6月末から授業終了後事務所、店へと行くようになりました。パソコン指導の方は会計ソフトの選定、購入、導入の作業を直ちに行いました。店の方は開店記念パーティーの準備が始まってる様子です。この時点では事件が起きるなど予想もしていませんでした。
店の立地を説明しましょう。神戸市兵庫区福原町。ご存じの方もあるでしょうが、神戸では有名な風俗街です。とても料亭が開店してやっていけるとは思えるところではありません。そんなところですから、毎日いろんなお店の客引きに出会います。面倒この上ない毎日です。客引きに会わないようにルートをとるようになりましたが。
次はとんでもない騒動を書きます。

調理師学校 4

授業は概ね高校と同じような授業です。調理実習は2時間通しでみっちりあります。実習着があって、洋食でよく使われているコックコートです。実習室に行くと黒板にレシピが書かれていてノートに書いておきます。実習の流れは先生の料理の説明、実演の後に実習となります。最初は包丁研ぎばかりやってましたが、今は役に立っています。その時の包丁は今でも活躍しています。実習は和食、中華、洋食の他に自分が選択した専門があります。専門は実際の料理人がやってきて講師を務められます。テレビにも出てくるような有名な人もいました。名前が出てきませんので次回までに思い出します。
この調理実習で不満だったことがいくつかあります。和食では「うまみ調味料少々」が必ず書いてあったこと。すしの時間にできあがりの具材を使ったこと。洋食のフォンドボーが缶詰だったこと。中華のだしは「顆粒」を使っていたこと。残念としか言いようがないです。

調理師学校 3

大は昨日、今日と右目に眼帯をしています。かなり見にくいようです。左目を使っていなかったのは明らかなようです。

 調理師学校は入学式もありました。制服を着ていったものの、父兄の年格好。そういう男が生徒と一緒に入学生の席に座っているのです。かなり浮いていたようです。40歳のおっさんです。恥ずかしいと思うのは最初だけで慣れれば何もなかったかのように通学しました。
 調理師学校にも委員長を選ぶようです。40代担任と20代副担任のクラス。副担任から委員長をお願いされ固辞しきれず受諾。委員長をやりました。高校生以来の「起立」「礼」「着席」慣れれば面白いモノです。この副担任は僕の事を○○さんと呼んでいました。年齢的にはそうですが、せめて○○君でしょうね。20代の若さなので仕方がないのかもしれません。この副担任も含め、学校中から気を使っていただきありがたいことでした。事務のお姉さんだけが他の生徒よりひどい扱いをしたことがあったので叱りました。まあ、そんな生徒でした。
調理師学校の1日は、朝登校時にタイムカードをて始まります。タイムカードが専門学校ですね。遅刻すると赤字で印字され、1日全部欠席になります。理解不能のシステムです。給食当番というのがあり、1週間朝から調理に出ます。給食当番の様子は書けません。なぜか、給食当番をさせてもらえませんでした。なんか、あったようです。高校とは違ってますので楽しかった。そうそう、僕の他にも、30代が2人、20代が何人かいました。

調理師学校 2

 退職を決めて上司に報告。世間であるように軽く引き留められた。後に民事再生を申請することにはなるのだが、この頃から経営状況が良くないのは周知の事実。強く引き留めは受けなかった。その上司も民事再生申請前に退職するのである。
退職が決まってからは、担当商品がないサポートだけのヘルプデスク担当となり、主にお客様からの電話対応の仕事をした。売上目標がなく、気楽なもので日曜日に休みをいれてもいた。メーカーが休みで満足なサポートができないという理由だったが、無茶苦茶な対応だったと思う。  
そんな会社は翌年1月10日まで出勤し2月10日付で退職した。
調理師学校に電話して入学が可能かの確認をすると「高校を卒業したばかりの子供達と一緒に勉強できるなら」と回答があった。早速学校に赴き入学意志を伝え、手続きをとった。なんといっても「制服」での通学なのだ。40歳で制服をきて通学。ただ、制服が紺ダブルのブレザーだったことはありがたかった。18歳の子供には制服でも40歳のおっさんには制服に見えないから不思議である。
どうして調理師学校に通おうと思ったか。それは、飲食店の営業に調理師免許が必須だと勘違いしたからだ。もちろん、料理の勉強もしたかった。入学して授業の中で飲食店営業に必要なのは、食品衛生責任者だった。2日間の講習で取得できること。もちろん、調理師は講習を受けなくても食品衛生責任者になれることも知った。
調理師学校に入学2ヶ月で、こんな無駄はないと思い始めていたが授業料は返ってこない。それではと勉強することにしたのである。
6月末からアルバイトを始めることになる。調理師学校のことを含めて明日以降に書く。ちなみに、調理師学校で1学期の委員長だった。これは面白かった。そのほかにも、合宿もあったし楽しかった。

調理師学校

さて、大の父が調理師学校に通っていたのはなぜか。大が生まれる前年、家電量販店勤務パソコン担当だった。ある日の夕食時、といってもほぼ毎晩宴会みたいな家庭だった。妻に「会社やめたいな」と話したら、妻は「やめたらええねん、好きなことやったら」と言って「辞めて何をするの?」と尋ねるので「蕎麦屋でもやろか」と答えたのを記憶している。この会話がきっかけとなり、会社を辞め現在の「そば屋」開業となるわけである。そう、大の父は「そば屋」を営業しているのである。その後、料理も勉強したいということで、調理師学校に入学したのである。会社を辞める大きなきっかけは、大が生まれるとわかった時だ。妻から妊娠したと知らされたとき大喜びをしたと同時に、会社を辞める決意をどうするかと悩んだ。こらから子供が生まれてくる。軽々に会社を辞めてもいいものかと考えた。結論は会社をやめ、そば屋を開業するだった。何故と問われたら、子供のためと即答する。生まれてくる子供のためにそば屋開業を断念したら、将来、その事を子供に伝える事があるかもしれない。君のために開業しなかったんだとは言いたくないと思った。

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